校区の概要

 本校区は,学校の所在地である平久保地内を中心にして,久宇良・吉野・平久保・平野の4地区から構成されている。
 平久保は古くからの集落であり,琉球王朝時代から500年の歴史を持っている。
しかし,交通の不便さや台風被害,マラリア等により壊滅的な打撃を受ける歴史を繰り返し,昭和30年頃は僅か30戸しか残っていなかった。
昭和31年,宮古郡からの多数の移住があり現在は人口80名ちかくの集落を形成している。
 他の久宇良・吉野・平野地区は昭和30年から32年にかけて行われた計画移住によって,沖縄本島の大宜味村・北谷町・宮古郡等から移住してきた人たちによって構成されている。
移住後30年を経過したあと,農業不振や台風被害等により,他の地区に引き上げざるをえなかった人たち,吉野地区のように2戸だけになった集落もあり,人口の減少が進んでいる。
 地域の基幹産業は,畜産・サトウキビ・野菜・里芋等で,校区民は学校教育に対する関心も高い。
 

歴代学校長 (敬称略)

第1代昭和24年4月~昭和26年3月桃原 用永
第2代昭和26年4月~昭和27年3月山城 浩
第3代昭和27年4月~昭和28年7月田城 正雄 
第4代昭和28年7月~昭和29年3月慶田 正介 
第5代昭和29年4月~昭和30年3月識名 信光
第6代昭和30年4月~昭和31年3月大浜 用意 
第7代昭和31年4月~昭和32年3月宮良 信友 
第8代昭和32年4月~昭和37年3月宮良 長次郎 
第9代昭和37年4月~昭和40年3月亀川 安兵衛 
第10代昭和40年4月~昭和45年3月仲盛 清一 
第11代昭和45年4月~昭和47年3月南風原 英芳 
第12代昭和47年4月~昭和51年3月田真 米三 
第13代昭和51年4月~昭和54年3月仲嶺 榮祐 
第14代昭和54年4月~昭和57年3月黒島 善健 
第15代昭和57年4月~昭和59年3月加治工 要全 
第16代昭和59年4月~昭和63年3月金嶺 功 
第17代昭和63年4月~平成3年3月石澤 正夫 
第18代平成3年4月~平成5年1月波平 長吉 
第19代平成5年1月~平成7年3月宮国 恵慈 
第20代平成7年4月~平成11年3月花城 俊之 
第21代平成11年4月~平成14年3月嘉陽 宗安 
第22代平成14年4月~平成16年3月豊見山 優 
第23代平成16年4月~平成19年3月半嶺 当永 
第24代平成19年4月~平成21年3月宮良 美代子 
第25代平成21年4月~平成23年3月金山 善隆 
第26代
第27代
第28代 
平成23年4月~平成26年3月 
平成26年4月~平成28年3月
平成28年4月~平成31年3月
安和 守光 
山内 たづみ
座間味 玲子
 

本校沿革の概要 

 昭 和  
24年 4月 5日 白保小学校平久保小学校分校として開校
25年 1月25日 白保中学校平久保分校設置認可,小中併置校となる
28年 7月29日 伊野田小学校平久保分校,同中学校平久保分校と改称
32年 3月 2日 大浜教育区平久保小学校,同中学校と改称,単独校となる
32年11月20日 新校舎落成(普通教室3,教員宿舎3)
38年 4月 1日 中学校は伊原間中学校へ統合,独立小学校となる
38年 5月19日 創立10周年記念式典,祝賀会挙行
39年 6月 1日 市町村合併により石垣教育区立平久保小学校に改称
40年10月22日 創立15周年記念式典並びに記念運動会
42年 2月27日 文教局指定研究発表会(学級会を活発にするための指導)
43年 7月 1日 完全給食開始
47年 5月15日 日本復帰により石垣市立平久保小学校と改称
49年12月 1日 平久保小学校創立25周年並びに石垣市立ひらくぼ幼稚園開園式並びに祝賀会挙行
54年 7月15日 体育館,幼稚園舎落成式典挙行
56年 4月 1日 県教育委員会指定(学級指導)
57年 6月30日 新校舎落成式典,祝賀会挙行
58年 3月 1日 研究指定校発表会
58年 7月 8日 動物の森完成 
59年 6月 8日 学校環境整備3カ年計画作成,実施(植物遠目ブロック塀)
60年 4月 1日 県教育委員会及び石垣市教育委員会研究指定校(視聴覚教育)
61年11月29日 学校環境3カ年計画完了 
63年 2月 3日 県教育委員会及び市教育委員会指定研究発表会(視聴覚教育)