✉ nosoko-s@ishigaki.ed.jp

当サイト内のすべてのコンテンツの著作権は本校または正当な権利者に帰属します。無断での転載・複製を禁じます。

All content on this website is protected bycopyright and may not be reproduced or redistributed without permission.

本网站的所有内容均受版权保,未经许可不得转载或复制。

 

日誌


2026/01/27new

学校給食週間を通した食育の学び

| by:管理者

野底小学校では、124日~30日の学校給食週間に合わせ、食の学びを広げました。今年は、北海道の石狩鍋(石狩地方)や新潟の「のっぺ(のっぺい汁)」、宮城のずんだ餅など、全国の郷土料理やそれに関連した献立が登場しました。子ども達は、料理の産地や由来を地図で確かめながら味わい、地域の風土や歴史への関心を高めました。石狩鍋の主な伝承地は石狩、のっぺの主な伝承地域は新潟県全域、ずんだ餅は宮城県の代表的な郷土菓子です。

 

給食時間には、給食委員会の子ども達と給食担当教諭が協力し、各学級で「給食クイズ」を実施しました。「石狩鍋の主材料の魚は何でしょう」「『のっぺ』のとろみは何でつくられているでしょう」「ずんだ餅の『ずんだ』は何をすりつぶしたものでしょう」など、食べながら考える参加型の学びを通して、給食への関心がさらに高まりました。

 

ここで、野底小学校の学びに関連づけて、学校給食の歴史をご紹介します。

学校給食のはじまりは、1889年(明治22年)です。山形県鶴岡市の私立忠愛小学校で、家庭の事情で十分な食事をとることが難しい子ども達に、おにぎり、焼き魚、漬物の昼食を無償で提供したことが、日本の学校給食の起源とされています。その後、子ども達の栄養改善を目的として、各地に広がっていきました。

しかし、戦時中は食糧事情の悪化により、1945年頃まで多くの地域で学校給食が中断されました。

戦後になると、1946年以降、子ども達の深刻な栄養不良を背景に、LARA(アジア救援公認団体)からの支援物資が届き、1947年頃から都市部を中心に学校給食が再開されました。その後、ユニセフからの脱脂粉乳の提供により、ミルク給食が全国的に普及していきます。

1954年(昭和29年)には、学校給食法が制定・公布され、学校給食は単なる栄養補給ではなく、教育的意義をもつ学校の教育活動として位置づけられました。この頃から、パン、ミルク、おかずがそろった「完全給食」が全国に広がっていきました。

1960年代には、脱脂粉乳から牛乳への移行が進み、献立の内容も徐々に豊かになっていきます。

1976年(昭和51年)には、制度上、米飯給食が正式に位置づけられました。これにより、現在の「ごはんを中心に、主菜や副菜を組み合わせる」形が定着していきました。

さらに、2005年に食育基本法が制定され、2008年には学校給食法が改正されました。これらにより、学校給食において「食育の推進」が明確に示され、栄養基準に基づいた献立づくりに加え、郷土料理や行事食、地場産物の活用が一層進められるようになりました。

現在の学校給食は、1食で1日に必要な栄養量のおよそ3分の1を目安として、栄養教諭や学校栄養士が基準に基づいて献立を作成しています。

今回の給食週間で扱った郷土料理について、簡単にまとめます。石狩鍋は北海道石狩地方の料理で、石狩川河口の漁師料理が原点とされ、サケを味噌仕立てで煮込む冬の定番料理です。のっぺ(のっぺい汁)は新潟県全域で親しまれており、里芋のぬめりを生かして自然なとろみをつけた煮物で、正月や冠婚葬祭の際にも食べられます。ずんだ餅は宮城県の郷土菓子で、枝豆をすりつぶして作ったずんだ餡を餅にからめたもので、仙台を代表する名物の一つです。

 

保護者の皆さまへ。日頃より、本校の教育活動へのご理解とご協力をありがとうございます。学校給食週間(124日~30日)では、学校給食の歴史や郷土料理の学び、そして給食委員会の子ども達と給食担当教諭によるクイズを通して、子ども達が「なぜこの献立なのか」「食と地域や歴史はどのようにつながっているのか」を自分事として考える姿が見られました。今後も、家庭・地域・学校が連携し、心と体を育てる食の学びを大切にしてまいります。


14:00 | 投票する | 投票数(0)